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横浜地方裁判所 昭和34年(ヨ)315号 決定

債権者 宮川久 外二名

債務者 有限会社アンタタクシー

主文

債務者会社が債権者宮川に対し昭和三十四年六月三日付でした解雇の意思表示の効力を仮に停止する。

債務者会社は債権者宮川に対し同日以降毎月二十五日限り一月金三万五百円の金員を仮に支払え。

その他の債権者の申請を却下する。

申請費用は之を三分し、その一を債務者会社の、その余を債権者早坂及び債権者遠藤の負担とする。

(注、無保証)

理由

本件申請の趣旨及び理由の要旨は別紙記載のとおりである。

しかして債権者等がかねて、その主張のような規模をもちタクシー及びハイヤーの営業をなす債務者会社の従業員(運転手)として雇われ、その主張の日に主張の理由(但し債権者宮川についてはその(1)(3)によるものとして債務者会社より解雇の意思表示を受けたことは当事者間に争がない。

ところで、債権者等は右解雇はまず債務者会社が債権者等の組合活動を嫌忌しその理由によりこれを従業員たる地位より追放せんとしてなした不当労働行為にほかならないと主張する。

しかして、債権者等提出の疎明資料によると、債権者等が申請外沖満太郎(支部長となつた者)等数名の従業員とともに昭和三十四年五月十日神奈川県ハイヤータクシー労働組合に加入してその支部を結成し、債権者早坂はその副支部長、債権者遠藤はその書記長、債権者宮川はその執行委員となりそれぞれ日頃活発に組合活動をしていたこと、一方同月十三日他の従業員吉田勝良等によりアンタタクシー従業員組合が結成され、同組合はいち早く債務者会社よりその宮元町営業所の仮眠所を組合事務所として貸与されたこと、なおこれにさきだち(同年五月六日のことであるが)前記沖、早坂、遠藤が債務者会社よりいわゆる配車換(債権者等は同人等にはことさら不良車が配車されたという。)をされたこと、また同月十一日前記支部組合員である運転手天野寛光がいわゆる予備員(債権者等は右は実質上いわゆる下車勤にほかならず債務者会社は右天野を運転者として乗車稼働せしめる意思は全くなかつたものであるというが、この点についての疎明は未だ充分ではない。)にされた事情もあることが一応認められ、債務者会社においても前記のように両組合が結成されるような情況のもとにあつて債権者等の行動に少なからず関心をよせむしろ前記従業員組合の育成につとめるように見られる気配もあつたことが窺われなくはない。

しかしながら一方債務者提出の疎明資料に徴して考えれば、債務者会社が債権者等の解雇を決するに至つた主たる理由としては、同年五月二十二日朝、債務者会社宮元町営業所において、債権者宮川が運転日報につき前日来の走行粁数及び売上金額の不足等を債務者会社の「労務及び常務」を担当する取締役久保寺彦治より指摘され注意を受けたが、「会社から何も聞く必要はない」とてこれをうけ容れず、債権者遠藤同早坂の両名も「組合員のことは俺達がやる」等といつて久保寺と押問答をなし、同人より債権者宮川が「理由書」の提出を求められるや、債権者等は交々「そんなものは書く必要がない」等といつて抗議し、とかくしたのち、債権者遠藤は債権者早坂と協議のうえ所属組合「日新交通」支部の本間某杉本某を呼寄せたことに端を発し、債務者会社従業員でない他の自動車会社の従業員等が相次いで参集し、その数は二、三十人に及んだが、当初、久保寺が事務所附近でこれら部外者の入構を拒絶したが聴き入れられず、それらの者は債権者遠藤の先導で前掲仮眠所に向い、同所に入る、入れない、とて久保寺と押問答を重ね、約十二、三名が同所入口の階段のある約一坪半ばかりの部屋に入り、同所にて久保寺の胸倉をつかみ耳を引つ張る頭顔等を手で突く等し、そのうち突然「久保寺が本間を殴つた」とて騒ぎ出し、債権者宮川は右部屋にいながら、部外者や他の債権者等の行動を傍観する態度をとつていたが、久保寺(同人は左脚の第二関節以下を切断した身体障害者。)は次いで戸口附近で殴る蹴るの暴行を受け、そのため松葉杖もとられ、戸外に出されて押し倒され、その間社長秋本佐久与はその場を逃れて辛じて難を免れたが、かような不祥事件の発生を見たことから、債務者会社は債権者等を会社秩序を紊し会社と同人等との間の雇傭契約上の信頼関係を破壊したものとしてこれを解雇するのほかなしとの結論に達したものであることが一応認められる。

けれども、本件疎明資料によれば債権者宮川の前記走行粁数及び売上金額の不足は、同債権者が、同日午前一時頃神奈川県ハイヤータクシー労働組合サントス支部員が加賀町警察署員に負傷させられたという事件に関し、同組合の指令により各支部員が同警察署に対し集団抗議を行つた際債権者宮川もまた之に参加したことによるものであること、久保寺は債権者宮川に対し、右走行粁数及び売上金額の不足の理由を訊した際加賀町警察署における集団抗議の事実を知つており、債権者宮川が右集団抗議に参加したことにつき疑念をもち、(之を咎める意思があつたと思われるふしがあり)同債権者が理由書の提出を拒むや、直ちに、その場で、同債権者に対し「明日解雇にするか下車勤にする」旨言渡したこと、しかるに、かように、走行粁数及び売上金額の不足を発見した場合久保寺はその理由を訊し、不審のある場合には理由書の提出を求めるというのであるが、かような場合において、従来は理由書の提出を求められた例は殆どなかつたこと、並びに仮眠所入口における暴行事件は久保寺が昂奮の余、不用意にも、自ら右手を以て日新交通の運転手本間清光の顔面(頬部)を一回殴打したことにより開始されたものであること及び債権者宮川が部外者やその他の者等の行動を傍観しながら敢て之を制止するに至らなかつたのは「解雇する」といわれたことにより意気銷沈したためであつたこと等の疎明がある。

従つて、右暴行事件は、久保寺自身の軽卒な攻撃的行為により開始されるに至つたものであり、又、債権者等が右暴行につき自ら手を下したことについては何等疎明はないとはいえ、之より先、債権者早坂及び同遠藤が共同して予め何等の準備もなく、徒に、他の会社の従業員を無制限に債務者会社内に導入し、事情を知らない同会社当局との間に不穏な情勢を発生せしめたことに起因するものというべきであるから、之により前記のごとき結果を来した以上、同債権者等は之を予想しなかつたとすれば予想しなかつたことにつき重大な過失があつたといわなければならないし、之を予想したとすれば、その防止の手段を構じなかつたことに基き、いずれの場合としても、その結果につき責任を脱れることはできないと解すべく、右債権者等の行動はそれ自体正当な組合活動といい難いことはもとより、債務者会社において右のように認定して、同債権者等を解雇するに至つたことは一応無理からぬ事情に出でたものということができる。

しからば、その他解雇の事由として掲げられた諸点について逐一判断を加うるまでもなく、右債権者等に対する解雇をもつて組合活動を理由にしたものないし就業規則に違背し権利を濫用したものとは一応認め難く、右解雇の無効従つて雇傭関係の存続を前提としてなす同債権者等の本件仮処分の申請は、いずれも結局その請求について疎明がないことに帰し、右は保証をもつてこれに代うるを相当とするものでもないから、その申請を却下する。

しかし、前記事情によれば債権者宮川は右事件の発生につきその責任のないことは明かであり、又、前記暴行を傍観して之を防止する行動に出てなかつたことについては宥恕すべき事由がなかつたとはいえないであるから、その結果についてもまたその責任をとわれる理由はないと解すべきであり、他に債務者会社が同債権者の解雇理由として挙げる事実については債務者会社提出の全疎明資料を以てしても之を疎明することができないから、同債権者もまた他の債権者両名と同一の責任があるものとして解雇したことは事態を不当に曲解し、この際前記組合委員たる債権者宮川をも債務者会社から排除し、よつて右組合の弱体化を図ろうとする意図の下に為したものと解するよりほかはなく、右解雇は解雇権の濫用に当り無効というべきであり、右債権者にその主張のごとき保全の必要性のあることは記録中の資料によりその疎明があるから、同債権者の本件仮処分の申請は之を認容すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条を適用し主文の通り決定する。

(裁判官 松尾巖 三和田大士 浅香恒久)

(別紙)

債権者の主張(一)

申請の趣旨

債務者が、債権者等に対し、昭和三十四年六月三日付でなした解雇の意思表示の効力を仮に停止する。

債務者は、債権者等に対し、昭和三十四年六月三日以降、毎月二十五日限り、別紙目録記載の金員を支払え。

申請費用は、債務者の負担とする。

申請の理由

一、債務者は、肩書地に本店及び弘明寺営業所を持ち、且市内宮元町並に上大岡に各営業所をもつて、自動車二十一台、従業員約六十名を有し、タクシー及びハイヤーの営業を業とする有限会社である。(以下単に会社という)

債権者等は、いずれも債務者の従業員であり、且神奈川県下に約三十五支部をもち組合員約一五〇〇名を有する神奈川県ハイヤータクシー労働組合(単一組織)の組合員であり、同労組アンタクシー支部の支部員であると共に債権者早坂は、同支部副支部長、同遠藤は同支部書記長、同宮川は同支部執行委員の役職にある。

二、債務者会社は、債権者等に対し、昭和三十四年六月三日(同月三日付)、「債権者等が(1)昭和三十四年五月二十二日午前九時十五分頃社外労働者四十数名を引連れ、会社宮元町営業所に押しかけ会社の制止をも聞かず事務所その他会社構内に乱入し、約一時間余にわたり久保寺常務及び秋元社長に対し、暴行脅迫を加え、同常務を負傷せしめる等会社の規律を乱した。(2)同日頃より他の従業員の就業を妨げ会社の規律を紊した。(3)勤務怠慢で業務に対する誠意がない。(なお(4)債権者早坂には同年四月九日配車業務命令に服さなかつたことが加わつている)」を理由に右事由が会社就業規則の懲戒規定である第五十五条第一号、十号(早坂は同九号を加える)に該当するとして懲戒解雇の意思表示をなした。

三、然しながら右解雇事由は、いずれも次の如く事実の虚飾乃至は曲解であるばかりでなく、債権者等組合活動を嫌悪した不当労働行為に外ならず無効であることを免れないものである。

(1) 解雇に至る経緯及びその背景

―債務者会社に於ける組合活動と会社の妨害について―

(イ) 債務者会社は、中小企業タクシー業の例にもれず、労働条件は非常に低廉で労働基準法違反行為が日常であり、又職場には封建的労務管理が支配していた。この様な労働条件を改善するため運転手が労働組合を結成しようとする企ては昭和二十九年に始まつて以来数次に亘つたが、これを非常に嫌悪する会社が、第二組合又は親睦会の結成、車の選択やメーター不倒行為等の取扱についての差別、公然又は隠れての会社幹部による切崩し些細な事由を口実にする解雇、入社に際しての黄犬契約等の強行な弾圧対策に出るため、其度毎に壊消していた。最近では昨年夏組合結成を計つた門倉、田村、笠原なる運転手三名が解雇をされている。

(ロ) 債権者等は、カミカゼタクシー追放の世論の高まりにこれが改善は業者の正しい業務管理と低廉過重な運転手の労働条件の改善が必須の条件と考え、そのために労働組合を結成してこれに当るより途がないということを認識し、会社の妨害に耐えてこれを遂行する決意をした。その後昭和三十四年三月頃より、債権者等が中心になつて長期間の準備を行つた末、同年五月十日ようやく会社従業員中九名の参加を得て前記神奈川県ハイヤータクシー労組事務所に於て組合結成大会をもち直ちに同労組に加入し、その支部を結成した。

(ハ) ところが、会社は右結成を察知するや、結成大会直前の五月八日債権者等組合役員(沖支部長、早坂副支部長、遠藤書記長)を老朽車に配転し、更に同月十一日組合員天野運転手を下車勤にする(車の稼動が出来ないため収入が手取三万円位から一万三、四千円に減少する)という不利益取扱のいやがらせを行い更に同月十五日には幹部が干渉し第二組合を半強制的に結成し組合のこれが撤回要求に対する団交申入には誠意を以て応じない態度をとつた。

(ニ) こうした事情の時、偶々五月二十二日午前一時頃争議の紛争をめぐり市内同労組サントス支部に於て組合員が加賀町警察署員に負傷させられた事件が発生し、組合の指令要請によつて各支部員が数名宛同警察署に集団抗議を行つた。債権者宮川等も組合の指令であるため数時間これに参加した。ところが、同二十二日午前九時頃債権者宮川が稼動を終え帰社し納金を済ましたところ、会社の久保寺常務から右動員参加につき始末書乃至は理由書を提出しろと要請されその提出をめぐつて債権者等が疑義を申込むや債権者等を解雇にすると脅迫した。

(ホ) これに驚いた債権者等は、右事態を組合本部に連絡報告し、債権者等の行動の正当なことを本部役員から会社側に説得してくれるよう依頼した。そこで同日十時頃組合本部役員等の組合員が来社し、会社役員に面接を求め、組合事務所である会社の仮眠所に於て交渉をしようとしたところ、久保寺常務がこの入口で入社を阻止し、興奮して組合員を自ら先に殴打暴行するという始末であつた。こうした事件のためこの現場に組合員が集まつたため、偶々通行中の市内各支部の組合員が立寄り、約三十名もの組合員が集まつてしまつたのである。結局これは会社の責任者が逃走したためそのままに終つたが、債権者等が久保寺常務に暴行など行わないのはもとより、社長はほとんどこの現場にいなかつたのである。

(ヘ) こうした事態が生じたのは結局支部組合員が少いからと考えた債権者は、六月三日臨時組合大会をもち、このとき本部幹部より会社従業員に対し組合加入の説得が行われ、同日八名の参加者を得たところ、これに驚いた会社が同日午後一時半右大会の解散直後会社休憩所入口に債権者等の本件懲戒解雇が発表するに至つたのである。爾後会社は暴力団を会社事務所に配置し、組合員に威圧を与え、債権者等の立入を禁じたまま今日に至つている。

(2) 解雇事由について

前述の如く、債務者の解雇事由(1)(2)は事実の虚飾であり債権者等の正当な組合活動の範囲の行為であつて解雇の対象となる事実でない。同(3)に当る債権者等が勤務怠慢とはいいがかりも甚だしい。債権者等は勤務成績は良好で従業員中、中以下になつたことはない。又同(4)の早坂の件は、業務命令違反などということでなく、解雇事由となるようなことでない。

(3) 解雇の法律的効力について

以上の如く、本件解雇の真因は、債権者等の組合活動を嫌悪した会社が債権者等の社外追放を計つもたのであり、正当な組合活動を理由とする不利益、差別的待遇であり、不当労働行為として労組法第七条第一項に該当し無効である。

又、債権者等の行為はいずれも就業規則の各懲戒解雇事由に該当しない。

又、債権者等の生活権を奪う苛酷な処分として権利の濫用であることはいうまでもない。

四、債権者等はこの解雇の無効確認の本訴を提訴すべく準備中であるが賃金を唯一の生活の資とする債権者にとつて右訴の本案判決をまつたのでは取り返しのつかない精神的経済的損失を蒙る虞れがあること明らかなので、やむを得ず、右解雇の効力停止並に債権者等の平均賃金の支給を求めるため本申請に及んだ。

別紙目録

一、金三万五百円      債権者宮川久の平均賃金

一、金二万八千五百三十二円 同  早坂実の平均賃金

一、金三万三千百十四円   同  遠藤猛の平均賃金

債務者の主張(一)

申請の趣旨に対する答弁

債権者等の申請を却下する。

申請費用は債権者等の負担とする。

との御裁判を求める。

申請の理由に対する答弁

一、第一項中、債権者等が債務者の従業員であること否認、債権者等が主張の如き神奈川県ハイヤー、タクシー労働組合の組合員なること債権者宮川が支部執行委員であることは不知、その余は認める。

第二項中、債権者宮川に対しても(2)同日頃より他の従業員の就業を妨げ会社の規律を紊したことを解雇の理由としていることは否認、その余は認める。

第三項中、

(1)(イ)中、労働組合を結成しようとする企てが昭和二十九年に始つて以来数次に亘つたことは不知、その余は否認する。

門倉、田村、笠原には夫々メーター不倒の不正行為があり、結局昭和三十三年十月頃自ら退職したものであつて、組合結成を計つて解雇されたものではない。

(1)(ロ)中、昭和三十四年五月十日申請外沖満太郎が中心となつて、神奈川県ハイヤー、タクシー労働組合アンタタクシー支部なる労働組合を結成したことは認めるが、その余は不知。

(1)(ハ)中、昭和三十四年五月六日会社が債権者等主張の者の車の配転を行つたことは認めるが、これはこれ等の者の希望を容れて行つたもので、而かも彼等丈に対して行つたのではない。その事情は追つて詳述する。

債権者等主張の日時に天野を予備員(所定の勤務時間、勤務すれば保障給拾壱万七千円は支給される)としたことは認めるが、組合からは組合結成の通告がなされた丈で、組合員名簿の届出はないから、同人が組合員であることは会社は事後に知つたのである。

天野が予備員とされたのは成績不良のためであり、その詳細は追つて述べる。

会社には右組合以外に、その届出によれば会社従業員四十一名を以て昭和三十四年五月十三日アンタクシー従業員組合が結成されたが、幹部の干渉により半強制的に結成せしめたことは否認する。

(1)(ニ)中、久保寺常務が債権者宮川に対して理由書の提出を求めたことは認めるが、それは動員参加についてではなく、同人の勤務状況についてである。

同常務が債権者等を解雇にすると脅迫したことは否認、その他は不知。

(1)(ホ)中、債権者等が昭和三十四年五月二十二日午前九時十五分頃社外労働者四十数名を引連れ、宮元町営業所に押しかけ、会社事務所仮眠所に乱入しようとしたので久保寺常務が制止したが聞かず侵入して、暴行脅迫の限りを尽して負傷せしめ、同人は寿警察署に保護された。

社長は事務所にて売上金を集め、本社に持ち帰ろうとしたところ、数名がこれを奪いとらんとしたので身をもつて逃げ出した。久保寺常務が先に殴打、暴行したことは否認する。

(1)(ヘ)会社が債権者等の解雇を発表したのは昭和三十四年六月三日のことであり、その立入を禁止したことは認めるが、暴力団を配置したことは否認する。唯昼二名夜三名の臨時警備員をおいて会社施設の警備に当らしめているのである。

その他は不知。

(2)(3)は争う。

二、会社は債権者等に就業規則の懲戒事由に該当する行為があつたから解雇したのであつて、その解雇理由は追つて詳述するが、解雇は正当な組合活動を理由とする不当労働行為でもなければ、権利の濫用でもない。

債務者の主張(二)

一、会社が債権者等三名を昭和三十四年六月三日解雇したのは左記の理由による

(1) 債権者宮川久は

(一) 昭和三十四年五月二十二日午前九時十五分頃債権者早坂、同遠藤とともに、社外労働者四十数名を引連れ、会社宮元町営業所に押しかけ、会社の制止をも聞かず事務所その他の会社構内に乱入して、約一時間四十分に渉つて久保寺彦治常務取締役及び秋本社長に対して暴行脅迫を加えて久保寺常務取締役を負傷せしめる等会社の規律を紊し

(二) 勤務が怠慢で業務に対する誠意がない

ので就業規則第五十五条第一号、第十号に該当するものとして解雇した。

(2) 債権者遠藤猛は

(一)(二)は債権者宮川と同じ

(三) 昭和三十四年五月二十二日頃から他の従業員の就業を妨げ会社の規律を紊した

ので同様就業規則同条第一号、第十号に該当するものとして解雇した。

(3) 債権者早坂実は

(一)(二)(三)は債権者遠藤と同じ

(四) 昭和三十四年四月九日秋本社長が日本揮発油株式会社への配車運転を命じたが、正当な事由なくしてその業務命令に服さなかつた

ので同様就業規則同条第一号、第九号、第十号に該当するものとして解雇した。

二、即ち

(1) 昭和三十四年五月二十二日午前九時頃債権者宮川が二十一日の仕事(同日午前八時三十分より二十二日午前八時三十分迄、但し午前二時より午前六時迄は帰庫、仮眠時間)を終り、宮元町営業所の事務所に来たので、久保寺常務取締役がその運転日報を調べたところ、同人が会社の命令に従わず仮眠時間もとらず働いたにしては、その成績が走行粁二八四粁(制限粁は三七〇粁)営業粁一二五粁で、その運輸収入が僅かに金五千百八拾円で、他の運転手の一日平均の収入が七千五百円以上であるのに比較して、著しく低率であるところから、その理由を問い訊したところ、何等納得のいく説明がなされなかつた。かかるところへ債権者早坂、遠藤の両名が来て、同常務に対して組合員のことは組合に申出て欲しいとの要請があつたが、同常務は組合結成については組合員名簿の提出もなく、従つて宮川が組合員であることは会社は知らないし、問題は宮川の業務に関することであつて、組合とは関係ないことであるから組合が出ることは遠慮して欲しい旨回答して、改めて宮川に対して理由書の提出を求めたところが債権者早坂、遠藤の両名は宮川に対しては理由書を提出する要はないといい、会社に対しては宮川の件について団体交渉はどうするかということであつたので団体交渉ならば会社は明日応じようと答えたところ、両名はこれから陸運事務所に行くからと捨台詞を残して立去つた。

(2) ところが約十五分位経過すると日新交通、湘南交通、横浜タクシー、サクラタクシー各社の労働組合員四十数名が自動車約三十台を連ねて、右営業所に押しかけて来て債権者等三名と打合せて車庫に集合して瀕りに気勢をあげているので、事務所にいた同常務が社外に退場を求めたが、罵言を浴せて一向にききいれないので、事務所より車庫の方に出て行つたところ彼等は飽くまで仮眠所に入るというのでこれを制止したところ、債権者等を始め多数の者が同常務を取巻き仮眠所入口(約一坪位)に押込め、襟首をつかんで頬を撲り、足や腹部をこずき廻していたが、突然逆に同常務が労組員を撲つたと騒ぎ立てて「ヤツテ終ヘ」「殺シテ終ヘ」と叫んで、同所より戸外に押出そうとして、同常務は支那事変で、右大腿上部貫通銃創のため第二関節より切断不具の体であるが、その唯一の頼りである松葉杖二本を奪いとつたので、同常務は入口の戸にしがみついていたが、更に足を蹴られて遂に失神状態に陥つて、入口より約十米先の地上に仰向けに押倒された。

やがて同常務は会社従業員小林清吉に救け起されて、意識を回復したが、その時急を聞いてパトロール・カーで駆けつけて来た警官二名を労組員多数が取囲んで押問答をしている隙に附近に投げ出されていた松葉杖を拾つて、事務所に逃げ込んだのである。

ところが債権者等を始め多数労組員はその跡を追つて警官を連れて、事務所に崩込んで来たので、同常務は愈々身辺の危険を感じて、辛じて事務所より社外に脱出して、約十分位附近の物かげに身を潜めていたが、多数警官が来たのを見て出て来たところを、午前十時頃保護のために寿警察署に連行されて一応事なきを得たが、ために着用していたワイシヤツ、ズボンは数ケ所引き破られ、右膝に今日尚治療を要する打撲擦過症を負うに至つた。

その後労組員は約一時間に渉つて騒いでいたが、午前十一時頃債権者等三名が先頭に立つて、地評宣伝カーにて約二十名が本社に押しかけ、車庫、事務所内に押入つて騒ぎ廻つたが、三十分位で同所を引揚げた。

(3) 他方社長は宮元町営業所の事務所に於て、前記労組員の乱暴、狼藉振りを目の当りにして、女の身で恐怖の余り如何ともするすべなく、久保寺常務が事務所に逃げ帰るといれ違いに事務所を出て、社外道路で車を拾い乗ろうとしたところ、労組員の一名が当日の売上金を入れて社長が持参していたボストンバツクを奪取しようとして、社長の両手を後ろにねじあげようとしたが、居合せた事務員鈴木早苗が大声を挙げてこれを制したので、漸く車に乗り、本社に逃げ帰るを得た、

然し社長はこのため強い衝撃を受け血圧が急に高くなつて爾後一ケ月の安静、治療を要したのである。

三、会社運転手の挙げる収入は前記の通り一日平均七千五百円以上であるが、債権者等三名は別表(一)記載の通り極めて低額のことが多く、他に已むを得ない特別の事由がないのに、かかる低額の収入しか挙げ得ないことは、何れもその勤務が怠慢であつて、業務に対する誠意がないものと云わざるを得ない。

四、債権者遠藤、早坂は別表(二)記載の日時に、記載の場所に於て、記載の運転手等に対して従業員組合を脱退して、債権者等所属の組合に加入するよう話しかけ、これ等の者が仕事中であるからと断わると、短かい時間だと云いながら、車内に入り込み、別表(二)記載の時間動かず、その間これ等の者の就業を妨げたのである。

尚債権者等は解雇後も同様の行為を続けている。

五、債権者早坂は昭和三十四年四月頃神五あ〇五一〇号の自動車を運転していた、

この車は本来タクシー用の車であるが、会社の常顧客に対する一定時間のハイヤーの仕事もしていたのである、ところが同年四月九日午前九時頃宮元町営業所に於て債権者早坂は秋本社長より得意先である日本揮発油株式会社のハイヤーの仕事に出るよう命令されたにも拘らず、これに従わず勝手にタクシーの仕事に出て終つたのである。

六、昭和三十四年五月六日、債権者等主張の沖、早坂、遠藤の運転している車の配転を行つたが、これは独り彼等のみでなく、他に八名の車の配転をも行つているのであり、而かも彼等が新に配転を受けた車は会社のタクシーの車としては中位に位するものであつて決して老朽車ではない。

七、運転手天野は元来病気のため欠勤が多く、成績も悪いので再三注意を与えていたのである、

ところが昭和三十四年五月七日同人の挙げた運輸収入が六千五百円で低率なので翌八日同人に注意して、同人より詑状が提出されたのであるが、五月十一日又々六千六百拾円という低率であつて、到底同人に反省の実が挙らないのみならず、同人はよく収入金を使込んで未収金として計上することが特に多かつたが、昭和三十四年三月従来の未収金を全部支払はさせて一旦清算をつけたにも拘らず、同年四、五の二ケ月間で壱万五千九百円からの未収金を生ぜしめて、これ亦反省するところがないので予備員としたものであり、而かも当時同人が債権者等所属組合員であることは会社としては全然知らなかつたのである。

(以上昭和三十四年七月四日付準備書面による。)

別表(一)

一、債権者 宮川

年月日           運輸収入

昭和三十四年五月五日    六、四七〇円

五月二十一日  五、一八〇円

五月二十五日  六、〇〇〇円

五月二十七日  五、五七〇円

五月二十九日  五、七七〇円

一、債権者 早坂

年月日           運輸収入

昭和三十四年五月十九日   六、四〇〇円

五月二十一日  五、三三〇円

五月二十三日  六、〇〇〇円

五月二十五日  四、五七〇円

五月二十七日  五、六二〇円

五月二十九日  五、二五〇円

五月三十一日  六、二六〇円

六月二日    四、三六〇円

一、債権者 遠藤

年月日           運輸収入

昭和三十四年五月五日    六、〇〇〇円

五月十三日   六、〇〇〇円

五月十九日   五、四五〇円

五月二十三日  五、三五〇円

五月二十五日  六、一〇〇円

五月二十七日  六、〇二〇円

五月二十九日  五、五五〇円

六月二日    四、六〇〇円

別表(二)

日時

時間

場所

行為者

相手方

昭和三十四年五月十五日

自午後一時

至〃三時

藤田

遠藤

斎木敏夫

五月二十三日

自午後一時

至〃二時

野毛

若林高次郎

五月二十五日

自午前二時

至〃五時

宮元町

遠藤、早坂、宮川

金児豊

自午後三時

至〃五時

曙町

遠藤

増田滋

自午後九時

至〃十一時

野毛

橋本郡好

五月二十六日

自午前九時

至〃十一時

曙町

井上成夫

五月二十七日

自午後三時

至〃四時

六角橋

遠藤

小原敏行

五月二十九日

自午後三時

至〃六時

浅間町

水原八郎

参考・解雇後に於ても左記の通り行われている

日時

時間

場所

行為者

相手方

昭和三十四年六月七日

自午後二時

至〃五時

平沼

沖、金子

田中柱

六月八日

自午後一時

至〃四時

野毛

早坂、遠藤、宮川

金子良一

六月九日

自午後七時

至〃九時

宮元町

田中、池部、金子

森本勝

六月十一日

自午後七時

至〃九時

安田、金子、池部

小林清吉

六月十六日

自午後九時

至〃十時

宮川、早坂

座間菊夫

債権者の主張(二)

債務者の答弁に対する認否

一、同第一項記載の事実中、債務者が債権者等を、その記載の如き理由を以つて解雇の意思表示をなしたことは認める。

二、同第二項記載の事実中、次の点は認めるが、その余は争う。当日の事情は別に述べる。

(1) 昭和三十四年五月二十二日午前九時頃、債権者宮川が二十一日の仕事を終り宮元町営業所の事務所にもどつたこと。(勤務時間については帰庫が午前二時である点は争う)

(2) 久保寺常務が、宮川の運転日報を調べたところ、宮川の成績が走行粁二八四粁営業粁一二五粁、運輸収入が五千百八十円であつたこと、運転手の通常の一日平均収入より低率であつたこと。

(3) 右常務が理由書提出を求めて宮川を責めていたところ、債権者早坂、遠藤の両名が右常務に組合員のことは組合に申入れて欲しいと要請したのに対し右常務が拒否したこと。

又右両名が陸運事務局に行つて理非を判断してもらうと云つて右常務と別れたこと。

(4) 其後、日新交通外労組員が右営業所の車庫に集合し来たこと。(集まつた事情、人数等は異る)同人等が同営業所仮眠所に入ろうとしたところ右常務が阻止したこと。又右常務が労組合員をなぐつたと騒いだこと。同常務が入口附近で倒れたこと(但し自分から)。

(5) 其後右常務がパトロールカーに乗つて寿署に連行されたこと。

(6) 其後労組員の一部が、債権者三名及び地評宣伝カーと共に、本社に赴いたこと。

三、同第三項記載の事実中、運転手の平均収入が(大体)七、五〇〇円程度であること。債権者等が答弁書別表(一)の如く成績の低い日のあつたことは認めるが、勤務怠慢であり業務に対して誠意がないということは否認する。

四、同第四項記載の事実中、別表(二)につき、右記載の日時場所等で脱退加入を説得したことについて、同表各行為中その一部には該当する行為があるが大部分を争う。

殊に右従業員組合員の拒否を無視しその就業を故意に妨げたことはない。

五、同第五項記載の事実中主張の如く結果的に早坂が業務命令に従わなかつたことがあるのは認める。その事情、理由は後述する。

六、同六項中、三十四年五月六日車の配転のあつたこと、又、沖、早坂、遠藤以外に配転をうけたものがいたことは認める。但しこれは同人等が配車されたため差繰り昇格された者が出来たためにすぎない。又、同人等の配車をうけた車が老朽車でなく中位に属するというのは争う。

七、同第七項中、天野が病気したこと(同人は当初成績優良であつたが連勤の過労から、昨年十月病欠した)

三十四年五月七日、運輸収入が六、五〇〇円、同月十一日は六、六〇〇円程度であつたこと、同人が未収金をつけ、殊に同三十四年四月五月で一五、九〇〇円の未収金をつけたことは認めるがその余は争う。

未収金をつけることは組合結成前会社が了承ずみであつたのであるなお債務者が天野が申請外神奈川ハイタク労組に加入していたのは知らないと云う点は否認する。

解雇理由に対する反駁

一、五月二十二日の事件の実情

(1) 申請書記載の如く、この日の前日である二十一日の夜半から二十二日にかけて、市内サントス支部に警察官による傷害事件が発生し、組合本部の指令により各支部より若干名づつが参加し加賀町警察署に集団抗議を行つた。これに債権者宮川も参加したため、同日零時頃より二時頃まで稼動することが出来なかつたので、その分の運収の低下を取得するため、朝七時迄稼動した。

(2) 一方会社は、債権者等の参加をしり組合活動といいがかりをつけるため債権者宮川が帰庫すると、久保寺常務が宮川を会社ガレージの処にひそかに呼びつけた。

右常務は運収についてではなく唯組合の指導者がこう云うことではおかしい二時から六時までに稼動したことについて理由書を提出しろと命令した。

(3) 従来運転手が運収の低下を取戻すため時間外を越えて稼動することについては、従来会社は黙認というより奨励する傾向にあつた。

ところが、組合結成されるや、急に所定勤務時間の二時に帰庫するよう指示を行い、債権者等の所属する神奈川県ハイタク労組(以下第一組合と云う)のみにこの履行を強制していたが従業員組合(以下第二組合と云う)については依然として黙認状態であつた。そこで宮川が、第二組合員が理由書を出しているなら私も出すと答えたところ、久保寺常務はその様なものを見せる必要はないと答えた。

この押問答をきがついて早坂、遠藤がかけつけ、宮川と同趣の抗議をし、かつ組合活動として行つたのであるから組合を通して云つて来てほしいと要請したところ、右常務は「組合として取上げるのは勝手だ」「宮川は明日解雇か下車勤だ」と捨ぜりふを残して話し終つたのである。

(4) この事態に困惑した債権者等が、債権者等の組合活動を日常指導して来た日新交通の杉本に連絡し相談を求めたところ、組合活動の事であるから同人及び本部の役員が会社に赴きその様な不当な取扱いをしないよう要請してくれることになつた。

従つて当初は右杉本外二名程度の者が来社し会社の責任者に面接を求めたのであるが、右久保寺常務が入社を阻止したため、偶々通行中の市内同労組員が三、三、五、五、集り最終的には三十名程度になつたのである。

(5) 右常務が、入社を剣もほろろに拒否したため、往来では円満な話が出来ないから従来従業員の組合事務所に使用している仮眠所に於て話合をもとうと要求したところ、同人はこれも拒否した上、仮眠所への入場をめぐつてやりとりしていた本間組合員を突然殴打した。

これをみて周囲にいた組合員が激昂したので、同人は驚いて現場から逃げ去つたのでありこの時あわててつまづき転倒したことを組合員がやつたようにすりかえているのである。

(6) 又、社長に対する暴行などはいいがかりとしか考えられない。

二、債権者等の営業成績及び車の配転等について

(1) 会社は債権者等の営業成績がわるく、業務に対する誠意がないと主張するが虚構も甚だしい。

債権者等三名は会社に於て従業員中稼動成績が常に上位にあつたのである。この事は会社に毎日掲示される成績表(最近は行つてない)の四段階のうちいつもトツプクラスに記載されていたこと、同人等の月収が平均三万円であつたこと(歩合の比率が大きい)をみただけで明らかである。

又債権者宮川は、従業員中数名しかいない「優良運転手」であること。債権者早坂、遠藤は、会社において成績の優良なもののみが任じられるハイヤーの運転手に命じられたことをみても明白である。

なお、両名は会社に二台しかない中型車「トヨペツトクラウン」に乗務していたのであるが、これには当初、他の従業員(朝比奈、小林)が、乗車稼動したところ、成績があがらないので遠藤、大川が乗務するようになり、このため成績が上昇して会社からしばしばほめられていた位である。

(2) ところが会社に於て組合が結成される気配が明らかになると会社は五月六日組合員の意思をくじくためその中心人物であつた債権者等を社内の最低の車に配転させたのである。

会社には車が四段位に分れて居り、(中型クラウン及び小型ダツトサンの五七年、五八年、五九年と年数によつて差がつく)このうち社内にわずか四台しかない最低位のダツトサン五七年型に債権者三名を含めた第一組合員殆どが配車された。

この車は、五八年型のエンジンが一、〇〇〇CCに改良される以前のもので運行状況不良であり、市内同業者でもこの車を使つているものはほとんど残つていない老朽車である。

会社においては臨時傭をのぞき一年以上勤務した運転手に従来この様な異例な配車換を行つたことはない。

通常は売上によつて新車を配していたのである殊に債権者宮川には常に新車が配されていた。(但し昨秋会計に従業員の待遇につき抗議を申入れてより冷遇されるようになつた)

(3) この様な老朽車に突然乗務させられたため、運行稼動が直ちに円滑に行かず運収が低下するのは技術上からも当然である。

又、その為の精神的影響も大きく(例えば早坂などは、タクシーの運転手を初めて以来六年余常に中型車を運転し、会社もこれを保障していたため突然小型車に配されたその精神的シヨツクは大であつた)

百%本人の能力が発揮できず、その為運行成績が低下するのはこの種作業の性質上やむを得ないところである。(加うるに組合活動に対する圧迫の精神的負担もあつた。)

(4) 会社の主張する運収の低下はいずれもこれらの配車後及び組合が結成され会社が組合を圧迫し両者間が円滑に行かなかつた若干の期間のことであり、これだけで債権者等が会社業務に故意に誠意がないものでないことは云うまでもない。

なお会社の運転手でこの程度の成績になることが数日つづくことがあるのはまれなことでないことを附言する。

三、債権者早坂の業務命令不服従について

会社に於てハイヤーの仕事は債権者早坂が平常タクシーと兼ねて行つて来ていたのであるが、このうち日本揮発油株式会社は良顧客でありその仕事はよい仕事であるため、不公平のないよう早坂、遠藤が隔日交替に行うのが慣行となつていた。

ところが社長は四月七日理由もなく虚言を用いて、故意に早坂の運転をやめさせ、遠藤に従事させた。

このことが後に判明したので翌九日の勤務の際、早坂が社長に対し「私をにくんでこの様なことをしたとしか考えられない。こうした不公正な取扱いはあらためてほしい。それでなければ今日一日はハイヤーの仕事したくない」と云つてそのままタクシーの仕事に赴いた。

当日の仕事は別に支障もなく、これだけのことであるので、翌日からは平常通り早坂もハイヤーの仕事に従事して居り会社もこれを了承していて特に処罰等の話などなかつたのである。

(以上昭和三十四年七月二十日付準備書面による)

債権者の主張(三)

一、本件解雇事件についての債務者会社の解雇事由とされているものは

(1) 五月二十二日の暴力事件

(2) 他従業員の営業妨害事件

(3) 勤務怠慢

(4) 業務命令違反(早坂のみにつき)

であるが、これらはいずれも事実の虚構虚飾であり理由のないものであることは債権者提出の準備書面(昭和三十四年七月二十日)の主張及び当審訊による疎明の結果明らかなところである。

以下争点につき主張疎明を整理すると次の通りである。

二、昭和三十四年五月二十二日事件について

本件について細部の若干の問題をはぶき事件の大綱を把握すると、先ず次の諸点は当事者双方に大体争いがない。

(1) この日に会社内に内容のくいちがいは別としてとにかく事件が発生したこと。

(2) その事件の発生時間は初まりが大体九時過頃で終りが十時~十一時頃であつた事。

(3) その事件の発端は他会社の運転手が会社に入れろ入れないという事及び従業員組合事務所云々をめぐることであつたこと。

(4) その事件の中心的なこととして仮眠所入口の階段下の部屋で久保寺氏と他会社員との間にごたごたがあつたこと。

(5) 社長は事件の途中で去つたが、その際他会社の運転手と路上でいいあつたこと。

この事件をめぐりパトロールカーが来たりして最終的には三、四十人の他会社の運転手が集まり、若干の混雑があつたこと。

(6) この事件は他会社の運転手と会社側職員との間に生じ、債権者三名はいずれも直接関係してないこと。

ところが次の点については双方に重大なくいちがいが存在する。

(1) 事件の発生は偶然的か、そしてその発生の責任は何人にあるのか……。この点につき債権者の主張疎明によれば、三名の他支部の運転手が平穏に来所したところ久保寺氏の言動が発端になつたということにあるのに対し債務者の主張と疎明によれば多数十~三十名の者が一度に計画的に殺到して来て久保寺氏に暴行を働いたことになる。

(2) 事件の中心の久保寺氏が殴られたり、けられたりして傷害を負い社長が脅迫され精神的障害をうけたという点は債権者は全然こうした事実はないとして双方の主張疎明が全く異つている。

(3) 債権者三名がこの事件にいかなる地位をしめ、いかなる責任を負うに相当するかについては債務者は、解雇通知の時には、三名が自らこの事件を行つたとして解雇事由にしたが、審理になり疎明の段階では、教唆乃至封助的な活動(さすがに直接手を出しているとは疎明しないが、そそのかしたように)を行つたように疎明し、最後の主張では止めなかつた行動が不当と主張している。

これに対し債権者側は、宮川はぼうぜんとして居り遠藤は傍観し、早坂はとめていたと疎明し、主張とかわることがない。ところでこの後者の点、債権者、債務者間で争いのある部分の真否が本件が真に解雇事由に該当するかを決する訳であるがこれらの諸点についての会社の主張疎明がいわゆる組合弾圧のためのつくりごとであることは次の諸点であきらかであろう。

(1) 他会社の運転手が入つて来たときの情況についての会社側の疎明が皆くいちがいのあること。

(2) 仮眠室入口の部屋における久保寺氏の暴行されたことについての会社側の疎明が矛盾だらけであること。

殊に目撃者の証言が上手に一致しているがその印象認識内容は抽象的であつて具体性に欠け、打合わせて作つたものであることが明らかなこと、又、例えばこの部屋に十七、八人もはいつて久保寺を中心にかこんでけつたりしたことを外部にいう人やくもりガラス越しに事務所から見える筈がない。

(3) 右事件につき久保寺氏の証言は非常に虚構が多いことが明らかであること。例えば、血が出ているのに写真にとらなかつたと云うことや、シヤツ、ズボンの破れの写真はいかにも作為的で、こうした乱闘事件が仮にあつたとしてもその時にこの様な破れ方はしないものであることは詳細に写真を見れば推測がつく。

(4) 久保寺氏が広場に出て倒されたと云う時以後の同人の行動が会社側の疎明は、みなはつきりしなかつたりくいちがつている。

本当に会社のいうように暴行され心神喪失状態になつたのならいつの間にか姿をかくしたり出来ないからである。

(5) この事件がでつちあげであり計画的であることは次のような不用意な会社側の一証言によつてばれてしまつている。久保寺証人及び会社側は一貫してこの事件前夜の加賀町警察の事件(東京民生ジーゼル労組員が日本サントスキヤブ労組の争議現場で加賀町署員に暴行されたということを市内ハイタク労組が抗議した事件)をしらないし、この抗議に債権者等が参加したことをチエツクしに行つたこともないといつているのであるが、これに反し、秋本康美智証人はこの二十二日事件の直前日新交通の運転手が「「昨日」のようにやつてしまう」といつたとどなり、昨日のこととはこの加賀町の事件であり、その事はその時(二十二日午前九時前頃)既にしつて居り、それは新聞でよんだと証言している。

これがいかに嘘であるかは、二十一日夜十二時頃から二十二日午前一~二時にわたつて行われたことが翌朝の新聞にのる筈がないからである。

(6) 久保寺の暴行事件について目撃した各証言の差のニユアンスは重要である。

小林、秋本(康)証人は大体同じ位置にいながら、小林の方はほとんど暴行を目撃したと証言していない。

本当にあつたならあのせまい構内でみかけない筈がない、同人は会社側運転手であるがさすがに全然会社側一族の様な虚構の証言はできなかつたのであろう。

又原証人と秋本佐久与証人は同じ事務所にいながら重要な点に関しては証言が一致しない。これらはいずれも後でつくり上げた証言だからである。

(7) この事件を通してみると

(イ) 外部の運転手が入つて来た時の情況、事務所前で応答した時間が永がかつたかどうか。…人はどの様にどの位来たか

(ロ) 久保寺氏がおしこまれた時、杖をついていたか

(ハ) 久保寺氏がなぐられたのは久保寺氏がなぐつたとさわがれた時よりは時間的に先か。又それまでに時間があつたか

(ニ) 久保寺氏はなぐられてだまつていたか

(ホ) 久保寺氏は具体的にどの様な暴行をうけたか

(ヘ) 久保寺氏が足をけられたというが、どの部分をどの位置で、どの様にけられたか

(ト) 久保寺氏が外につれ出された時の状況

(チ) 久保寺氏が外で暴行されたというがどの様にか

(リ) 久保寺氏がその後事務所に戻り外に逃げ出した情況

(ヌ) 全体的に時間の経緯。ことに事務所外の時間、仮眠所入口での時間、外の車庫に久保寺氏がつれ出されてからの時間、パトカーが来た時間。

(市内ではパトロールカーは電話後二~四分で現場に来る)

等と、人が集まつて来た情況(パトカーの前後か)との関係

以上の諸点が事実の真否を決定するのに重要であるが、この点についての会社側各証言は矛盾だらけである。

尚以上の外に会社は非常にでつち上げが巧妙であること

((例えば第二組合結成届書類、第一組合の第二組合員に対する営業妨害に対する抗議書がいずれも、訴訟になつてから作りあげたものであることは、前者については一日でこの様な組合印鑑が作れる筈がないこと、後者については各証人が知らないと証言し又第一組合に対してはその頃何等直接に抗議をして居なかつた事等一つを見ても明らかである。))

を綜合して考えればこの日の事件についての会社の主張は事実をゆがめてつくりあげているものであることは誰にも判るところである。

三、他従業員に対する営業妨害事件について

(1) 本争点についての債務者の主張が不当なものであることも当審理上あらわれた疎明上明らかである。即ちこれを要約すると会社が解雇通知をなした当時、その解雇の事由となしたこの営業妨害行為については、会社主張によれば会社はその事実の有無の判断資料として従業員組合員吉田勝良名儀の抗議書(乙八号証)によつたことになる。

(イ) ところが先ずこの抗議書がその内容として記載する妨害行為が真実あつたかどうかということ自体においてもほとんど虚構であることは各被害者本人の証言で明らかであり

(例えばこの妨害が事実であるなら遠藤などは二十五日はほとんど仕事をしていないことになる。この様なことをすれば売上がないから当然問題にならない訳に行かない、しかるに会社は遠藤はもとより他の被害者の日報を提出しない。

会社に都合のよい日報のみ提出し、この様な重要なことを証明する日報が提出出来ないということはこの様なことがなかつたことをはつきり物語つている)

(ロ) この抗議書がほとんど各本人の知らない間に作成され、組合の他役員ですら知らないというものであること。

(健全な組合常識ではこの様な重要な書類を会社に提出するのに執行委員会にかけないことは考えられない)

(ハ) 右文中「ハイタク労組に厳重な抗議を申込むと同時に」とあることが事実は全然行われていないこと。

(こうゆう妨害行為が当時真実存在したら会社にこの様な文書を出す前にハイタク支部なり本部なりに何等かの形の抗議をするなり、抗議書を出したりして、それでも止まないときに会社に云うのが普通考えられることである。)

(ニ) 右従業員組合は会社と親密なため訴訟後になつて関係書類を作成した様子があること組合結成の日付に提出されたその日に作成されたと証人吉田によつて証言される組合結成届―乙九号証の二―に組合名儀及び組合長名儀の印鑑が捺印されているがかかる印鑑は通常印鑑屋で最低二、三日かからないと出来ないのがこの日に捺印しているのは後に作成されたものである事を証明している)という様な諸点を綜合すれば、組合妨害行為などは少くとも解雇当時は問題となつていたことでないものを会社が作りあげたものであることが明白なのである。

(2) 若干の従業員が営業を妨害されたと証言しているが、かかる行為も

(イ) 被妨害者が積極的にやめてくれと申入れてないこと、任意的な説得であつたことは明らかである。

(ロ) 又、それが就業時間中であつたとしても、タクシーの運転手は所謂その勤務時間の特殊性から、休憩時間を任意にとること振替えることが許されていること、又

(ハ) 運転手同志はしばしばお互に車り乗りうつつて話し込むと云う習慣があり従つて又

(ニ) これが業務妨害になるという認識をもたないこと

(ホ) 債権者等小組合では大企業の労働者のように専従の組合員がいたり組合活動をする休憩時間が充分あるところとちがつて説得等の組合活動をどうしてもこうゆう形で行わなければ組合活動自体が行えなくなること等を綜合すればこれは労組法上正当な組合活動に該当しこれを解雇事由とすること自体が不当労働行為になるといわなければならない。

仮に真にその様な行為が会社の業務妨害になるというのであればこれを解雇事由とする前に少くともその様な行為をやめるべき旨の勧告を出し、これにどうしても従わないときに然るべき手段をとるべきであつて、何らかかる手段をつくさないで突然解雇事由とすることは信義に反するものである。

(3) この点東京地裁労働部の東都交通事件(昭和三二年(ヨ)第四〇四六号、昭三三、二、二五決定労働法律旬報第三四〇号所収)が本問題と同様な就業時間中の運転手をつかまえて組合結成のための署名をとつたことが職場秩序を乱し会社に損害を与えたとして解雇事由にした事件につき、不当に長時間とかその他会社の秩序が特に乱されてないかぎりこの署名の為の不就労は懲戒事由にならないとし、更にこの運動に関連して若干全体的に会社の収入が減少しても、それは組合結成運動を行うものとこれに反対する従業員との間の反目の結果生じたものであり、積極的に他の従業員の作業を妨害したり職場秩序を乱す目的や会社に損害を与える目的で行つたのでないかぎりこの収入減を解雇の帰責事由と考えることは出来ないと判示されたことを御参照下さい。

四、勤務成績不良について

本件ではかかる点も解雇事由とされているが、かかる事由の存在しないことは、審理上、この点については会社側にこれを裏づける疎明が提出出来ないことによつて明白である。宮川については稼動による給与(歩合)もよく、優良運転手として会社が申請し、又会社内でも組合活動をするまでは運転手中の幹部あつかいをして優遇していたこと、早坂遠藤については会社の優良車で、成績のよく、接客態度のよい者をのみ選んでいたハイヤー兼用車に勤務させていたこと一事のみを取りあげただけで明白である。組合結成当時会社の圧迫や老朽車に配車がえしたため若干の成績が低下したことを以て解雇事由にすることはクリンハンドの原則に反し、雇傭契約上の信義則に反し許されない処である。

五、会社の不当労働行為について

以上の如く本件解雇事由自体が全体的につくり上げたものであることと、これが時期的に組合結成の妨害や、第二組合結成援助等に接近し一連のものとして行われたことを併せて判断すれば、不当労働行為であることは多言を要しない処である。

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